芦屋市教育委員会は自己肯定感を全く理解していない疑惑
もう一つ、聞いていて驚いた発言がありました。
それは、
「課題解決した成功体験が重要」
という言葉です。
通常の場面であれば、その通りと言いたくなる言葉ですが、
今回は自己肯定感を育む、という文脈の中で発せられた言葉です。
そもそも、
自己肯定感とは、成功体験で培われるものではありません。
成功で得られるものは単なる自信であり、
それは失敗によって失われる危険を常に孕んでいます。
いくら成功を積み重ねたとしても、一つの失敗によって
全てを失い、自信も喪失する、ということが往々にして
ありますが、それは自己肯定感とは言えません。
自己肯定感とは、
自分自身の生命が存在していること自体に対する、
決して揺らぐことのない信頼
のことを言います。
これを育むのは大変で、単なる成功体験では
得られないものです。
多くのケースでは、子供のころから親の愛情を
受けるとか、人から優しくしてもらった、
人に優しくすることができた、
そういうことから得られると言われています。
教育現場においては、
自分という存在を教師・親・同級生・地域の人に
認めてもらえた、ということで自己肯定感が
得られるわけです。
そこに成功や失敗、成績の良し悪しなどは関係なく、
ただ認める。それをその子の個性として、
そのままでいいんだと周囲が認め受け入れる。
それによって、自分自身が存在していいんだ、
不登校やひきこもりや、自殺なんてしなくていいんだ、
という気持ちに、初めてなれる。
自分自身の個性を、自分自身が認め受け入れられる。
ということを西﨑議員は仰っているのだと思います。
教育委員会が行っているのは、それとは真逆のことです。
学業が苦手な子供に、そのままではダメだと
失敗の烙印を押して、勉強ができるようにと手取り足取り
矯正しようとしている。そんなことを続けていては、
子供たちの勉強への苦手意識は強まるだけで、結果として
子供の自己肯定感を奪っているのではないでしょうか?
西﨑議員への提言
今回の一般質問、素晴らしいご発言で
筆者としてもなぜか誇らしい気持ちになりました。
(これが自己肯定感というものか・・・)
しかし、教育委員会と認識のすれ違いがあり、
教育委員会から前向きな回答が得られなかったのも事実。
せっかくいい質問をしても、
成果があげられなければ、意味がありません。
もちろん、この答弁を聞いた人の考えが変わり、
教育を改革する力になればよいのですが、
今の教育を今すぐ変えていくのが最大の成果となります。
そこで、芦屋市教育委員会の取り組みについて、
以下の言質を取るべきだと筆者は考えています。
今回の質問は少し抽象的というか、理念とか
教育委員会の立場を確認するような内容になっていた
ような気がしますので、その根拠を出させて
自ら気づくように仕向ける、という方針で進めていく
のが良いのではないか?と思いました。
(僭越ですが・・・)
もし、議員がこれをどこかで見られていたら、
嬉しいんですけどね。
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